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南風原花織の歴史

 南風原町では、明治の頃から花織の技法を母から娘へ伝承した形跡があり、現在も改良されながら織り続けられています。また古老からの聞き取り調査で、明治後期に織られた花織り手拭を出征する兵士へ贈り、持ち帰ったその手拭を大正初期に使用していたといいます。

その後、大正3年4月に南風原村立女子補修学校が設立され、たくさんの村内婦女子が花織、斜文織などを収得し、その技術は先代から伝わる花織の技術も手伝って、喜屋武八織、照屋花織など独自の花織、浮織の技法を確立しました。

戦後は、生き残った人たちが貧窮生活の中からあらゆる材料をかき集め、再び織物の生産に励みました。

織物生産の技術が、彼らを支えたのは言うまでもありません。現在もその技術は受け継がれ、自分達の伝統的な技法と柄を守ろうと、意欲的な生産を続けています。

南風原花織の特徴

 南風原花織の染色の特徴は、県内で採取される琉球藍、福木、テカチ染め等の植物染料を用いることです。化学染料については、絹は酸性染料、木綿はスレン染料、反応染料、直接染料を用いています。

南風原花織には、ヤシラミ花織、クワアンクワアン織り、タッチリーなど、産地にしか存在しない名称がありその模様は花のように美しく図柄に立体感がでて華やかな印象を受けます。

また、歌い継がれている歌に、「んじゃりがなわかちぬぬなするいなぐ、花ぬヤシラミーん織いどしゅうる」(どんなにもつれた糸でも、ときほどいて反物を作る女が花のヤシラミーもおれるのだ)というものがあります。花織のヤシラミーが作れるには、どんなにもつれた糸でもときほぐすくらいの忍耐と辛抱強さを備えなければならないという教訓歌です。

南風原花織の信頼の証

 安心と確かな品質として、本場で織られた南風原花織りには、この証紙が貼付されています。

南風原花織の工程図